星影のタツシ
これから書くのはまず大森君のこと。
ろっくらしっくのステージに上がった中で、唯一パンフレットに載ってなかった男。
僕らが神原さんのステージで共演した、「オーロラ」で、パーカッションをやっていた彼について。
ろっくらしっくのステージに上がった中で、唯一パンフレットに載ってなかった男。
僕らが神原さんのステージで共演した、「オーロラ」で、パーカッションをやっていた彼について。
当初、「オーロラ」は、神原さんプラスquizmasterから3人のみで演奏する予定だった。
ただ、曲を理解していく内に、いくらロックとの融合とはいえ、このオーロラ的情景を表現しないと、そもそもこの曲を選んだ意味すら失われてしまうということで、神原さんが急遽ヘルプとして依頼したのが、大森タツシ君であった。僕らの初合わせは、3月29日。その日、少し遅れてスタジオ入りすると、既に彼はそこにいて、例の様々な打楽器に囲まれて座っていた。その時に始めて、この曲を5人で演奏する事を知ったので、ろっくらしっくのパンフレットに彼の名前が無かったのは、仕方が無いが当然の事であった。
ただ、曲を理解していく内に、いくらロックとの融合とはいえ、このオーロラ的情景を表現しないと、そもそもこの曲を選んだ意味すら失われてしまうということで、神原さんが急遽ヘルプとして依頼したのが、大森タツシ君であった。僕らの初合わせは、3月29日。その日、少し遅れてスタジオ入りすると、既に彼はそこにいて、例の様々な打楽器に囲まれて座っていた。その時に始めて、この曲を5人で演奏する事を知ったので、ろっくらしっくのパンフレットに彼の名前が無かったのは、仕方が無いが当然の事であった。
おそらくステージを見てくれた人なら、皆分かってくれたと思うが、彼の魅力は、その全身で音楽を、のみにとどまらず、生活全てを楽しもうとすることにある。そのバイタリティは、リハーサルのスタジオでも直ぐに発揮されていて、メインである神原さんを凌ぐ程のリーダーシップを見せる場面も少なくなかった。少しお互いを探りあうような初対面の相手にさえ、遠慮なく指示を出し、思った事を言う姿勢は、瞬間的にスタジオ内に程よい緊張感を生み出していて、それが、時間が無い事への懸念からではなく、純粋に音楽そのものをより良くしようという心掛けから起こっている行動ゆえに、強い説得力を持っていた。そして、そうした全てが、演奏後に見せる彼のあの満面の笑顔に結びつくため、常にそこには音楽にかける真剣さと、それを演奏する喜びが満ちあふれていたのだ。
こうしたリハーサルは本当に久々だった。僕達がこれまで、いかに緊張感を失っていたか、表現の追求を怠っていたか、思い知らされた。極論を言うなら、彼等クラシック部隊と演奏してみて分かったことは、ある一面において、音楽は全て技術であるということだ。説明するとまた長くなりそうだから控えるが、これは今までの自分の音楽の捉え方からすると、真逆の考え方である。どういうことか。つまり、大森君の魅力、それは全て彼が今まで必死に努力して積み上げてきた技術の一番上に、承認の印鑑を捺されるみたいに表れていたということだ。基本的なこと、譜面を瞬間的に理解し、他のパートとの関係性を理解する、それを音楽のルールに乗っ取って、正しく演奏すること。正確なリズムで、正確なフレーズを。それを誤魔化し無く、自信を持って表現できるようになった、その上に、彼が音楽を楽しもうとしていること、部分部分を如何に演奏しようとしているかということ、が見えてくる。音楽をやるということは、そういうことだ。演奏における自分らしさとは、そういう全てを乗り越えた人間にのみ言えることなのだろう。理想論を言うならば。
おそらく神原さんも、大森君も、自らの技術を未熟だと思っているだろう。だからこそ、毎日練習に励んでいくわけだから。そして、こんな事を書いたら、自分らしさなんて、到底出せた事は無いと言うかも知れない。それは謙遜ではないだろう。事実彼等は、どんなに簡単そうなフレーズも、一つもおろそかにせず、全て難しいと言いながら演奏をしていた。当たり前の事で、追求すれば簡単な事は何一つないのだ。その姿を間近で見せられて、僕はスタジオ内で久しぶりに緊張したし、自分の未熟さを嘆いた。しかし、個々のレベルの差はあるにせよ、そうした中で誰もが、自分にできる限界まで挑もうとする雰囲気が形成され、それに加わることは自分にとってのこの上ない刺激であった。これは残念ながら現状のquizmasterに、決定的に欠落していることなのだ。
ここに書いたのは、あまりにも当然過ぎる話。それでも、そういうことが見えなくなってしまっていることはあるのだ。大森君が僕達に教えてくれたのは、そういう当たり前の事だ。そして彼が教えてくれた最も重要なことは、こんな風に全ての事は一様に難しいのだから、せめて音楽は簡単に楽しく演奏しなよ、ということなのだ。演奏するまでの時間を如何に難しく過ごして、演奏中、簡単にいられるか。おそらく、毎日は誰にとっても簡単であった方が良い。でもそうする事の出来ない自分達や、誰かの為に音楽がせめてその役割を担わないといけないのだと。難しい音楽は最低だ。懲り懲りだ。考えないと分からない芸術は最悪だ。芸術は全て第一印象だ。そういう意味で、僕らのやっている音楽は未だ最悪だ。
ss
ss
音楽は、音楽という芸術。
ロックは演劇という芸術なのかも知れないと思ったんだけど、どうなんだろうか。
無理に論理化すると、ロックは音楽じゃない。
僕は音楽をやりたいのか、ロックをやりたいのか。
ロックは演劇という芸術なのかも知れないと思ったんだけど、どうなんだろうか。
無理に論理化すると、ロックは音楽じゃない。
僕は音楽をやりたいのか、ロックをやりたいのか。
0 件のコメント:
コメントを投稿