2013年5月20日月曜日

記録6

2006-04-07 12:43

5人の殺し屋達

ロックにおける他者とのコミュニケーションとは、いったいどういったものなのだろうか。
音源でもいい、ライブでもいい。コミュニケーションと言ったものの、実際僕ら5人と聞き手に会話はない。だがしかし、そこには確実にコミュニケーションが存在する。というよりも、音楽が人のやる事である以上、コミュニケーションが存在しない事なんて恐ろしい。
ただ、今の僕らは聞き手の方と、はたして理想的なコミュニケーションが取れているのだろうか。いや、きっと取れていないだろう。それは何故か。
僕らは、いつだって演じる側であり、嘘偽りのない姿を人に見せなければならない。と思う。嘘のある音楽なんて最低だ。着飾った姿なんて何の魅力もない。(これは、今の僕の心象を表す言葉だから、あまり気にしないでほしい)。
そして、聞いてくれる人達に理解してもらおうだなんて、ミュージシャンによるただのエゴだ。あくまで、僕らの音楽と対峙した時に、嫌でも理解してしまい、時には笑顔で身体を揺らして、時には涙さえ流してもらえる事が理想だ。
僕らは5人で楽曲を作り続ける。
それぞれ、自分の弾けると思った好きなものを弾く。もちろん調整をしながら。しかし、それは正しい事なのだろうか。これもまたエゴであり、頭の固いだけの考えではなかろうか。本来ならば、その楽曲の事を考え、それが例えどんなものでも、自分の技術で表現できなければならない。「これは自分の弾くべきものではない」なんて事は絶対にありえない。
きっと、コミュニケーションが希薄になっている事も、この頭の固い考えによって生まれているんではないだろうか。もちろん自分は大切だ。自分の意思のないものを弾いたってうまくはいかないと思う。ただ、自分の事ばかり考えていても他者とのコミュニケーションは取れない。これは、凄く当たり前の事だ。
僕らは5人(しか)いないのだから、せめてその5人で最高のアンサンブルを鳴らしたい。最高の楽曲を作っていきたい。僕ら5人にしかできない事を。
現状、僕らは5人の殺し屋だ。楽曲殺しの常習犯。もう、これ以上屍を積み上げてはいけない。
生かせ。生かせ。生かせ。
(ムラタ)

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