2013年9月12日木曜日

バンビについて


ぼくは立川にあるダンボという店で最高のハンバーグとカニクリームコロッケに出会った。
同じ時代に生きて、それを体験できたことに驚いている。

店の外観や内装は、人々の落ち着きどころがない思い出たちさえも寄りつくのをやめたような、多くのものの不在による空白を旨としていた(虚しさがすりきれて何も無くなってしまったのだとぼくは思った)。
店を長年続けてきたであろうひっそりとした老夫婦の笑顔も、その空白を否定することはできないようだった。
たくさんの音を立てて、おじいさんはハンバーグやら白身魚のフライやらを作っていたけれど、それでも。

ぼくはそこでハンバーグとカニクリームコロッケを食べた。

ハンバーグは肉汁が染み出すというものではなく、しっかりと固められた肉に強めの香辛料と塩分が輪郭を作っていた。
そして、そこにかかるデミグラスソースがぼくの愛を引き出した。色が白く目が細い、一見すると美人というわけではないが、目をそらすことができない、そんな女性を想像させた。場におけるバランスの取り方、あるいは配置のされ方に真実があったのだと思う。

そして、カニクリームコロッケについては、ただいまこの時に思い浮かべると、体の中の大切な部分が沸き立つ。そして、涙が出てくる。

ぼくが先にデミグラスソースのことを語ったとき、多くの表現されたものがそうであるように、受け手であるぼくの存在がそのすばらしさに対して一定の位置を占めていたと言える。
しかし、このカニクリームコロッケは、ぼくの存在を必要としていなかった。
誰も食べてくれなくてよかったのだ!
エデンの園が、ぼくには空白に見えていたということかもしれないのだ。

クリームにはカニのコクというコクが詰め込まれていた。厚めに、そして少々硬めに揚げられた衣は、ほっくりではなく、ボッくりともいうべき食感で、このクリームのセンセーションを倍増させていた。
ぼくは、きっといつもカニよりこのカニクリームコロッケを食べたい。


店の入り口に背番号55番・松井のサインが貼ってあった。
店の名前はダンボだが、松井は「サンボさんへ」と書いていた。
彼もまた虚無と真実の狭間に食事時を過ごしたのかもしれない。

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2013年8月4日日曜日

ガングロちゃん



触れる

大きな木をくり抜いて作ったぼくの家には誰もいなかった

ぼくは透明になった

木からは水蒸気が上がり、あたりに消えた
水蒸気があったことが、あたりの透明な層のひとつに残った

大きな剣でそこを切ったならば、水蒸気の記憶と一緒にたくさんの涙がでてくることだろう
流せなかった涙が透明な層に含まれている

大きな剣が地上につき立って、無言の痛みを生み出している頃、美しい小さな鳥と舌を絡ませ合うことを思う

また水蒸気が出される
あたりに消える
涙がとどめられる

大声をあげて泣くんだ

ぼくはガングロちゃんと鉱脈をさかのぼる旅に出る

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2013年5月28日火曜日

恋心へ精神分析的な口上



師は、沸き立ちあがる人生の意思に従うことが魂に刻印された使命を全うする方法であるという。
別の師は、自分の望むことは神にも逆らう覚悟が必要であるという。

一人だけ正論を説き続けるローマの評議員は、まだキリストを知らなかった。

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2013年5月23日木曜日

2013年5月20日月曜日

記録15

Discography :
quizmaster002, July 2004 (EP)
the united forces, April 2004 (Single)
the united forces CD2, October 2004 (Single)
the united forces 2005 Tokyo - Taipei,February 2005 (台湾限定EP) 
新しい国/鼠, May 2005 (Single)
quizmasterの偉大な建築, March 2006 (Album)
家出少年 runaway boy, August 2007 (Album) 
アイコンガールピストルズ・その男、裏表アリ, July(Single)

記録14


quizmaster presents "1976 Japan Tour Final"に寄せて


2005年の2月、7月と2回、quizmasterは台湾ツアーを敢行した。
その全行程をホストとして迎え、サポートしてくれたのが、台湾最高ロックバンド
「1976」である。

本年をもって結成10周年を迎える彼等は、台湾のインディシーンにおいては既に
広く知られた存在で、台北のレコードショップに於いてはメジャーアーティストに遜色ない程の扱いがなされており、台湾における主要なロックフェスティバルの殆どに登場する等、学生を中心とした若者層からの圧倒的な支持を受けている。

80、90年代の英国音楽からの強い影響を受けた彼等のそのサウンドは、風船の如く色鮮やかに弾むようであり、しかし決して舞い上がって人を見下したりはしない。4人の細身の青年がステージでみせる存在感は、等身大の様でありながらも特別であり、キラキラと輝いて見えるくらい純粋な情熱に満ちあふれている。

今回の企画は、そんな1976が行う来日ツアーの最終公演にあたる。
出演は、昨年のquizmaster台湾ツアーに同行した長谷川俊、金光朗之を含めた計4組。
そして、この公演が行われる2月28日は、近現代史上台湾人にとっての重要な意味を持った1日でもある。おそらく彼等も、僕達がどうしてこの日を選んだのか、その意図を分かってくれているに違い無い。自国の政治に対しても積極的な興味を持つ彼等台湾人。そんな彼等の招待で僕らが立った昨年2月28日の台湾のステージ。
忘れる事の出来ない想い出をくれた彼等への、せめてものお礼だといえるのかも知れない。

ともあれ、音楽である。この日会場を満たすのはきっと、みずみずしい幸福である。
台湾を訪れた僕達が感じた、祝祭のようなムードの、その一端だけでも、この日本で再現することができれば、この企画には意味があったと言えるだろう。
さらに、会場には1976及びquizmasterのアルバムジャケットを手掛ける台湾人デザイナー、DIZZYの作品が1部ではあるが展示される予定である。彼の作品もまた、人生を愉快にさせくれる素敵なメッセージに満ちているので、その辺りも楽しみだ。

アジア諸外国の音楽シーンに興味のある方、リアルな台湾のアートシーンを感じたい方、そして今最も注目を集めている、台湾の若者の文化を味わいたい方、是非ともこのイベントに足を運んで頂きたい。1976が聞かせてくれる純粋なロックミュージックが、少しだけ億劫な僕らの足を、新しい国へと踏み出させるはずだ。

記録13

2006-09-12 02:37

タイムマシンは作れない

僕の机の片隅、古くなって段々ときしみをあげながらも、まだ忠実にこの文章を打ち込まれているマッキントッシュの横に、いつまでも放置されていた使い捨てカメラがあった。
もう何年もそこにあったのに、黒い机に対して全く主張することのない、濃いブルーのカメラは、撮影の役目を終えたきり、ずっと忘れ去られていたのだ。当然のごとく、その中にどんなシーンが切り取られているか、覚えているわけもなく、元来大切な写真で無いからこそ、そこに放置されているはずである。僕はそのカメラを、使わなくなったMDウォークマンや、無言を決め込んでいるスナフキンの人形と同じように、単に机を狭くしているだけのオブジェとして、見過ごしてきたのだった。
最近撮った写真を現像に出そうと思い立った今日の昼間過ぎ、どういうわけだか突然、僕はその小さな青いオブジェの存在を思い出した。そして、そこに何が写されているのか、知りたくなったのだ。期待などは微塵もなく、ほんの些細な興味の一つとして。珍しく今日は、朝も早い内から行動していたので、すこしはゆとりなんてものがあったのだろう。僕は、鞄の中に最近とった写真のフィルムと、埃まみれになったその使い捨てカメラを放り込んで、駅前のプリントショップに現像に出しに行った。
夕方になって、その写真を受け取りに再びプリントショップを訪れると、昼間の時とは違う、無愛想な女性店員が、至って事務的に僕の差し出した用紙を処理し、手元の引き出しから、無愛想に紙袋を二つ探しあてた。「写真の確認をお願いします」と彼女は言い、一つの袋を選び、中から1枚目を無表情で取り出して見せた。こういう状況で写真が間違われていた事など経験に無かったし、大体からして、どちらの袋から選びだされるだろう写真にも、大した思い入れがあったわけでは無かったので、僕は端からどんな写真を見せられようと、直ぐに確認した意思を伝えようと思っていた。そして実際その通りに、提示された写真をチラと見ると「大丈夫です」と形式的に答えた。女性店員は全く無駄の無い動きで二つの袋をまとめて、ビニールの手提げ袋にいれると、その一連の作業の代償を要求してきた。僕は、小銭を確認しないで、大きめの紙幣で支払って、釣りを受け取って足早に店を出た。
その後、僕は電車のホームに移動しながら、先程から感じている違和感にゆっくりと思考を巡らせていた。それは、先程無愛想な店員に写真を見せられた時から続いていたものだった。何故だろう。僕は考えた。その一枚目の写真に写っていたのは、これといって写りが良いわけでもない、なんの変哲もない写真だった。被写体は人物、男性だった。僕が一瞬見た限りでは、その男性は座り込んでいて、顔を自らの手で覆っていた。だからその人物をパっとみて特定することは出来なかった。しかし、僕にはある予感があった。一瞬だけ見えた、その人物のシルエットと服装は、直接的に僕の心の中に、ある人物の名前を浮かび上がらせた。僕は電車に乗り込むと、直ぐにその一つの袋、それはつまり今日まで忘れ去られていた、青い使い捨てカメラによるもの、を取り出して、僕の予感を確認してみたのだった。

やはり間違いは無かった。そこに写っていたのは、座り込んで顔を覆い隠している、長谷川俊であった。背景は真っ暗で、そこが何処なのかは分からない。彼は厚手のパーカーを着込んでいて、どうやらそのシーンは、寒い時期に撮影されたようであった。僕にはその一連の写真達が、いつ頃、何の目的で撮られたものなのか、まだ全く分からなかった。そして2枚目の写真にはさらに驚かされることとなった。写っていたのは、また殆ど真っ暗な背景に浮かび上がる、寒そうな二つの横顔、上窪と林雨霖のものであったのだ。
以降の写真3、4枚に目を通す内に、全てははっきりと理解することが出来た。場所は渋谷o-nestだった。撮影されたのは3年前の3月のある日、僕が初めてヴォーカルとしてステージに立った日、林雨霖が日本のライブハウスで初めてドラムを叩いた日、高津大樹と出会ってほんの10日ばかりしかたっていないその日、つまりこのquizmasterが初めてライブを行った日である。
当時としてももう立派な成人としての年齢を迎えていたのにも関わらず、全員が少しあどけない表情で、さらに全ての写真が寒々とした空気を含んだ暗めのトーンで写されていた。この10日程前、僕と上窪と林雨霖の3人で活動していたquizmasterと高津大樹が出会い、そこに大学時代からの友人であった長谷川俊をサポートに迎えて、あまりに急場しのぎな、このバンドのデビューライブに漕ぎ着いたのであった。上窪と林雨霖はその一月前に共にライブを観に行き購入した、ソニックユースのTシャツの上に、上着を羽織っていた。高津は今でもお目にかかる、ギンガムチェックのシャツの上に、灰色のフード付きジャンパーを着ていた。長谷川は前髪を立たせていて、随分と若く、真面目な感じに見えた。僕はといえば、やはり野暮ったい上着と、中途半端な長さの髪をボサっと伸ばしていた。他のいくつかの写真には、そのどうしようも無かったであろうライブをわざわざ観にきてくれた友人達が写されていて、その中には、無邪気な笑顔でピースサインをしている、邑田航平の姿もあった。そして息子の日本での初舞台を観に来た、林雨霖の父親の姿も(といってもわざわざ台湾からではなく、仕事で日本に滞在しているついでではあったが)。
寒さや、この安いカメラが暗い空間を捉えきれなかったせいもあってか、全員が一様に冴えない風貌で、特別なものの何もない、在り来たりな日常の一つとしてそこに存在していた。僕のカメラであったから、当然ライブ本番の風景は一つも写っておらず、リハーサル前後の固い表情と、本番終了後の安堵だけが記録されていた。困難だった過去も、輝かしい未来も感じさせない、ただその夜だけの記憶を、この写真達は3年後の僕の手元に届けに来たのだった。
僕は心地よい電車の揺れの中で不思議な気持ちだった。この写真に写っていた、最初のステージの5人は、ほんの先程まで続いていた今年の夏、台湾で一緒の舞台に上がっているのだ。1人は孤高の弾き語りという形で、1人は台湾最高のロックバンドとして、そして残りはその彼等に助けられながらも浮かんだり沈んだりを繰り返す、quizmasterというしがないロックバンドとして。そして、僕はさらに進む急行電車の中で思う。それはつまり、この始まりの5人の殆どと、別れの選択をしてきたのだということを。長谷川はこの後直ぐに自らの生きるべき道を見つけ、林雨霖とはこの約半年後に離れ、翌年には彼は台湾に帰ることとなる。そして、今年の夏が終わり、高津も僕らとは別の道に歩き出して行く。確実なことは、この写真に切り取られた記憶のあの日、あの夜が無ければ、今ある全てもまた同様に無かったということだ。僕らはこうした一枚一枚の写真全てを重ねた、不安定な塔の頂上に立っていて、今もまた一枚、また一枚とそれを積み上げている。僕らは一瞬たりとも、その過去を疑うべきではないのだ。
quizmasterはこの日から何回ライブをやったことだろう。そして今後、また何回続けていくことが出来るだろう。夏の終わりと同時に、僕らの季節もまた一つ終わったと思っていた。しかし、どうやらそうでは無いのかも知れない。一つ一つは写真達のように、一つ一つ丁寧に終わっていくもので、新しい始まりがその度に僕らの前に現れる、それだけの事だと。
変わる季節の戸惑いが作り出した小さな偶然が、僕にこの写真達を運んできてくれた。忘れ去られていた、あの青い小さな使い捨てカメラは、3年前の3月のあの日から、今日という日に役目を果たす事を望んでいたのかもしれない。僕のiPodは邑田から半ば無理矢理にいれられたローリングストーンズの曲を流しているところだった。やけに明るく光る液晶でタイトルを確認すると、そこにはLet's Spend The Night Togetherと書いてあった。偶然とはいえ出来過ぎた一日のような気がした。
ss

記録12

2006-07-29 03:45

和音

去年の台湾ツアー時の写真を見返した。
あの時僕らは、この幸福な時間がずっと続けばいいと思っていたし、
実際にそうなるとも思っていた。
今になって思えば不思議なものだ。
今日からまた新しい台湾ツアーが始まる。
でも去年と何一つ同じものなんてない。
永続的なものなんて無いんだ。
瞬間瞬間しか、僕らには無いんだ。
僕らはこのツアーで明らかに失う。
そして明らかに得るんだ。
僕はこの夏、台湾で歌う全ての曲を、今まで活動してきたquizmasterのメンバー達に捧げる。
だから、さよならをしよう。
ss

記録11

2006-06-03 17:24

強烈な胡麻と味噌、そしてレモンの酸味

ぼくは恋をしている。
恋をしていると気が付いたときには、もう彼女はいなかった。
しかし彼女は戻ってきた。
だから、ぼくは今むさぼるように恋をしている。

ビレッジバンガードという雑貨とかお菓子とか本を売っているお店がある。
そのお店がやっているハンバーガー屋さんが吉祥寺、井の頭通り沿いにある。
そのハンバーガー屋さんの下に希望軒というラーメン屋さんがある。
以前は希亭というラーメン屋さんがそこにはあって、胡麻味噌つけめんがとてもおいしかった。
いつ行ってもお客さんが少なく、1年もたたないうちに閉店した。
希望軒というのは、とてもこってりした豚骨ラーメンを看板メニューにしているお店だけれど、
昨日ぼくはそこで胡麻味噌坦々麺を食べた。
つけめんは無いのかと店員の男性に聞いた。
そう聞かれることが多いからそのうちまたやるかもしれないと言っていたけれど、
ぼくが今まで希望軒に食べに行って、ぼくの他にお客さんを見たことは無い。
また無くなってしまうとほんとうに困るから、今日も行って胡麻味噌坦々麺食べた。
(たかつ)

記録10

2006-05-20 13:52

こまっつぁん

(彼女は、わたしビートルズに入ればよかったわと言った)
ロックはギターだ
昨日、彼はそう言った。
ギターの可能性がロックだ。
いつもその可能性を引き出そうと、
真摯に向き合い続けることだと言った。
そうしたら誰にもできないことだってできると。
ロックを語るのに1万字もいらないんだよとも言った。
彼はイントロ、バッキング、ソロ、バッキング、
ギターを弾き続けると言った。
(たかつ)

記録9

2006-04-30 05:09

昼ビールは最高ですね

どうも、カミクボです。
久々に書いてみます。
先日中学のときからの友人の結婚式に行ってきました。
披露宴でガンガン飲み、二次会まで少し時間があったので軽く飲み、
当然二次会でもしっかり飲み、引き出物を忘れてくるほど酔っ払いました、ピース。
(その後無事受け取れました・・・、ふぅ)
ついでに二次会終了後もゆったりと飲んだのでした。
このところ私の(数少ない)友人が次々に結婚していくんですよね。
おめでたいことです。
一方こちらはご祝儀の工面に必死だったりと、なんとも情けない話で・・・。
まだまだ学生並の生活レベルを維持しております。
話は変わって、あのジミ長谷川さんがホームページを開設されました、
おめでとうございます!
彼がブログで故・岡本太郎氏の「今日の芸術」という本について書いているんですが、
私もこの本が大好きでして、繰り返し読んでいます。
50年くらい前に書かれたものなのに、今でも新鮮に心に響きますよ。
みなさんも是非読んでくださいな。
最後に、以前私が日記で紹介したことのあるTHE STONE ROSESの完コピバンド、
THE COMPLETE STONE ROSESのホームページを見つけてしまいました。
映像があります。
http://www.stoneroses.net/index.php/tcsr/video/
三年ほど前にマンチェスターを訪れたときに彼らのライブを観たのですが、
これ実に痛快なので是非ご覧くださいませ。
では。

記録8

2006-04-14 06:19 

帝国の逆襲

これは、自分にも、君にも揺らぐ事がないように。改めて文字にするだけ。
世界を形どるのは、人間の脳の何%かしか機能していない、その小さな肉片の、
その部分が頑に守っている、意志。
そして、その世界のルールは、「生の欲望」への執着。
もしかしたら、それを超越した世界があるのかもしれないけれど、
物理学とかの小さな地平でなく、このルールが、生命の条件の筈だ。
本当の事というのは、その人間の最も美しい、醜い、執着に向き合うことでしか
見つからないというのが、現時点での僕の持論。
そうでなければ、僕が守ってきた観念、僕の守りたい音楽、僕の好きなあの人、
僕を泣かせた出来事、そういった全てに意味がなくなってしまうから。
だから僕はこれを譲る気はない。
全ての芸術は人間の関係を軸にした社会に執着しているから、美しいんだ
(美しいんだと、大多数の同じように執着する人間の目には映る)。
僕らの人生はレベル99からどんどん下がっていく。
回復の呪文は無いんだ。
人の心にそう簡単に作用できる筈がないんだ。
人間は消耗しながら生きる。
癒しなんて無い。あるのは、緩和でしかない筈だ。
それでも、十何次元まで頭の中で解明できている人がいるように、
僕らの見えない世界を見ることができる人が居ることは分かる。
その人の見えた事は、本当の事かもしれない。
しかし、それはどう足掻いても、その本人にとってのみの本当の事だ。
僕にとっては只の嘘だ。
僕には見えないその何かエネルギーを感じれば、色々な事は楽になるのかもしれないが、
僕は執着して、馬鹿みたいに喜んで、死ぬ程傷付いて、ドラマチックに生きたい。
執着から逃れるというのは、自分一人で楽になっているだけだということ。
最近ある人が言っていた。
明日死ぬ訳にはいかない。何故なら明後日の晩ごはんを食べていないから。
これは僕にとっては真実だ。
だから僕は君に執着するだろう。
それが僕の住んで居る現実のルールだから。
これは批判じゃない。個人の信念だ。
全く気にしないでいい。言わなくても気にしないだろうけど。
そして、僕も全く気にしない。
君の信念を。
ss
君が僕の親友だから、親友の言うことは信じようとも思う。
ただ影響を受けないようにしようと思う。

記録7

2006-04-12 01:59

未必の故意

僕達が代々木でライブをした日、台湾では1976も随分久しぶりのライブをやっていました。
河岸留言というライブハウス、そこはあの「海辺のカフカ」の地下1階ですが、そこで彼等はワンマンライブを行った模様です。チケットは事前にソールドアウトしていたようで、それだけ多くのファン達が、彼等のパフォーマンスを楽しみにしていたということでしょう。情報によると、彼等は本編18曲(!!)演奏し、アンコールを4曲やったそうです。信じられません。タフなやつらです。
一方の代々木に来て下さった数少ない皆様、本当にありがとうございます。あの日のライブは6曲と、短いものでしたが、僕個人的には重要な意味をもったライブでした。あの日をきっかけに、雪解けの様にゆっくりと、僕達の冬が終わってくれればと思います。
僕は音楽を、ただやりたいからやるだけだったのに、ひたすらにその純度を高めて、あとは流れに身を任すしか無かった筈なのに、知らないうちにコントロールしようとして、勝手に混乱しているのでしょう。僕の音楽には全く意味はありません。ただ、自分の聞きたい音符、歌詞にして歌いたい言葉、それだけ。それは身勝手なだけだと言われるかもしれませんが、僕の音楽が自分でも、人からしても未熟に思えるのは、その身勝手さが全然不足しているからだと思うのです。
さて、今後はもうちょっと楽しい話をしていきたいものです。今年の夏もまた1976と屋台料理を食べたいなあ。今年は音楽なんかよりよっぽど大事な、ワールドカップを控えてることですしね。
ss

記録6

2006-04-07 12:43

5人の殺し屋達

ロックにおける他者とのコミュニケーションとは、いったいどういったものなのだろうか。
音源でもいい、ライブでもいい。コミュニケーションと言ったものの、実際僕ら5人と聞き手に会話はない。だがしかし、そこには確実にコミュニケーションが存在する。というよりも、音楽が人のやる事である以上、コミュニケーションが存在しない事なんて恐ろしい。
ただ、今の僕らは聞き手の方と、はたして理想的なコミュニケーションが取れているのだろうか。いや、きっと取れていないだろう。それは何故か。
僕らは、いつだって演じる側であり、嘘偽りのない姿を人に見せなければならない。と思う。嘘のある音楽なんて最低だ。着飾った姿なんて何の魅力もない。(これは、今の僕の心象を表す言葉だから、あまり気にしないでほしい)。
そして、聞いてくれる人達に理解してもらおうだなんて、ミュージシャンによるただのエゴだ。あくまで、僕らの音楽と対峙した時に、嫌でも理解してしまい、時には笑顔で身体を揺らして、時には涙さえ流してもらえる事が理想だ。
僕らは5人で楽曲を作り続ける。
それぞれ、自分の弾けると思った好きなものを弾く。もちろん調整をしながら。しかし、それは正しい事なのだろうか。これもまたエゴであり、頭の固いだけの考えではなかろうか。本来ならば、その楽曲の事を考え、それが例えどんなものでも、自分の技術で表現できなければならない。「これは自分の弾くべきものではない」なんて事は絶対にありえない。
きっと、コミュニケーションが希薄になっている事も、この頭の固い考えによって生まれているんではないだろうか。もちろん自分は大切だ。自分の意思のないものを弾いたってうまくはいかないと思う。ただ、自分の事ばかり考えていても他者とのコミュニケーションは取れない。これは、凄く当たり前の事だ。
僕らは5人(しか)いないのだから、せめてその5人で最高のアンサンブルを鳴らしたい。最高の楽曲を作っていきたい。僕ら5人にしかできない事を。
現状、僕らは5人の殺し屋だ。楽曲殺しの常習犯。もう、これ以上屍を積み上げてはいけない。
生かせ。生かせ。生かせ。
(ムラタ)

記録5

2006-04-06 19:16

学校

ぼくの80年代は、隙間無く優しい光が満ちていた。
そして、多くのことが今となっては20年以上前のことになった。
吉祥寺に住んでいたのも、もうずいぶん前のことだけれど、そのもっと前から。
ぼくの中の子供は確かに息づいている。
君の知っていることを教えてくれないか。
君と同じ情熱をぼくが持つこともできるんだ。
ほんとうのところ、ぼくは君だから。(そうでしょう?)
そうしてぼくたちは、
この幻の世界に存在していた理由を心で直に感じるんだ。
ほんとうに自由になって、わき出てくる涙を止められないだろう。
(とてもしたくてたまらないことしか、する必要はないよ。むしろたいしてしたくもないことをしているのは、ほんとうのことから君やぼくを遠ざけるんだ。)
高津

記録4

2006-04-06 01:30

星影のタツシ

これから書くのはまず大森君のこと。
ろっくらしっくのステージに上がった中で、唯一パンフレットに載ってなかった男。
僕らが神原さんのステージで共演した、「オーロラ」で、パーカッションをやっていた彼について。
当初、「オーロラ」は、神原さんプラスquizmasterから3人のみで演奏する予定だった。
ただ、曲を理解していく内に、いくらロックとの融合とはいえ、このオーロラ的情景を表現しないと、そもそもこの曲を選んだ意味すら失われてしまうということで、神原さんが急遽ヘルプとして依頼したのが、大森タツシ君であった。僕らの初合わせは、3月29日。その日、少し遅れてスタジオ入りすると、既に彼はそこにいて、例の様々な打楽器に囲まれて座っていた。その時に始めて、この曲を5人で演奏する事を知ったので、ろっくらしっくのパンフレットに彼の名前が無かったのは、仕方が無いが当然の事であった。
おそらくステージを見てくれた人なら、皆分かってくれたと思うが、彼の魅力は、その全身で音楽を、のみにとどまらず、生活全てを楽しもうとすることにある。そのバイタリティは、リハーサルのスタジオでも直ぐに発揮されていて、メインである神原さんを凌ぐ程のリーダーシップを見せる場面も少なくなかった。少しお互いを探りあうような初対面の相手にさえ、遠慮なく指示を出し、思った事を言う姿勢は、瞬間的にスタジオ内に程よい緊張感を生み出していて、それが、時間が無い事への懸念からではなく、純粋に音楽そのものをより良くしようという心掛けから起こっている行動ゆえに、強い説得力を持っていた。そして、そうした全てが、演奏後に見せる彼のあの満面の笑顔に結びつくため、常にそこには音楽にかける真剣さと、それを演奏する喜びが満ちあふれていたのだ。
こうしたリハーサルは本当に久々だった。僕達がこれまで、いかに緊張感を失っていたか、表現の追求を怠っていたか、思い知らされた。極論を言うなら、彼等クラシック部隊と演奏してみて分かったことは、ある一面において、音楽は全て技術であるということだ。説明するとまた長くなりそうだから控えるが、これは今までの自分の音楽の捉え方からすると、真逆の考え方である。どういうことか。つまり、大森君の魅力、それは全て彼が今まで必死に努力して積み上げてきた技術の一番上に、承認の印鑑を捺されるみたいに表れていたということだ。基本的なこと、譜面を瞬間的に理解し、他のパートとの関係性を理解する、それを音楽のルールに乗っ取って、正しく演奏すること。正確なリズムで、正確なフレーズを。それを誤魔化し無く、自信を持って表現できるようになった、その上に、彼が音楽を楽しもうとしていること、部分部分を如何に演奏しようとしているかということ、が見えてくる。音楽をやるということは、そういうことだ。演奏における自分らしさとは、そういう全てを乗り越えた人間にのみ言えることなのだろう。理想論を言うならば。
おそらく神原さんも、大森君も、自らの技術を未熟だと思っているだろう。だからこそ、毎日練習に励んでいくわけだから。そして、こんな事を書いたら、自分らしさなんて、到底出せた事は無いと言うかも知れない。それは謙遜ではないだろう。事実彼等は、どんなに簡単そうなフレーズも、一つもおろそかにせず、全て難しいと言いながら演奏をしていた。当たり前の事で、追求すれば簡単な事は何一つないのだ。その姿を間近で見せられて、僕はスタジオ内で久しぶりに緊張したし、自分の未熟さを嘆いた。しかし、個々のレベルの差はあるにせよ、そうした中で誰もが、自分にできる限界まで挑もうとする雰囲気が形成され、それに加わることは自分にとってのこの上ない刺激であった。これは残念ながら現状のquizmasterに、決定的に欠落していることなのだ。
ここに書いたのは、あまりにも当然過ぎる話。それでも、そういうことが見えなくなってしまっていることはあるのだ。大森君が僕達に教えてくれたのは、そういう当たり前の事だ。そして彼が教えてくれた最も重要なことは、こんな風に全ての事は一様に難しいのだから、せめて音楽は簡単に楽しく演奏しなよ、ということなのだ。演奏するまでの時間を如何に難しく過ごして、演奏中、簡単にいられるか。おそらく、毎日は誰にとっても簡単であった方が良い。でもそうする事の出来ない自分達や、誰かの為に音楽がせめてその役割を担わないといけないのだと。難しい音楽は最低だ。懲り懲りだ。考えないと分からない芸術は最悪だ。芸術は全て第一印象だ。そういう意味で、僕らのやっている音楽は未だ最悪だ。
ss
音楽は、音楽という芸術。
ロックは演劇という芸術なのかも知れないと思ったんだけど、どうなんだろうか。
無理に論理化すると、ロックは音楽じゃない。
僕は音楽をやりたいのか、ロックをやりたいのか。

記録3

2006-03-26 04:29

我々は自由の刑に処せられているのか?んなこたあ無い。

マリンバと合わせる曲に取り組んでみている。
今夜は真面目に。
譜面の中に自由である事を指定する部分があるのが面白い。
自由であるというのは自然なことではないし、それは課せられるもの。
だから自由な感じのパート以外を重点的にさらっている。
今日大手牛丼チェーン店、○屋に行った。
僕の前で弁当を頼んでいた人が、「弁当の上に卵をかけて醤油を垂らしてくれませんか?」と
注文したところ、店員の彼はきっぱりと、それでいて失礼でもないという、不思議な強い口調で
「出来ませんっ」
と言った。
あまりにも鋭い切り返しだったため、店の一部の客が顔を上げた。
こんな風にコミュニケーションの形は本来的には自由だ。
それでも一般にこういった種類の店に繰り広げられる会話に比べて、極めて異質な空気を作った一言であったのは確かだ。
僕らは思った以上に慣習的なものに侵食されている。
例えば自動改札の投入口が明日突然左側になったら。
僕は左利きだから、自動改札では常に半身になっている。
そういうことが、右利きの人全てに明日起こったら。
動作に突然の制約が生じて、同時に日常性が外部に操作されている事に気付くかもしれない。
自由というのはそういう所と別にあるのならば、
それを見つけるのは本当に難しい事だ。
自由というのは難しい。
で、これは、そのマリンバの曲の難しさのただの言い訳なんだけど。
ss

記録2

2006-03-23 15:58

連戦連敗


これから自宅で曲を作ろうとしている。
本当は4月にマリンバと合わせる曲に取り組まないといけないのだけど、
今日はそんな気分じゃ無いから。
とにかく楽器を弾いて適当に歌う。それがあの冬山の雪崩を起こす最初の一石を投じたら、
あとは転がるのを待つだけ。
だから本当に上手く行けば、5分の曲はその曲の時間で出来る。
毒リンゴみたいな曲はそんな風にできる。
でも最近はちょっとじっくり構えてみようとしているみたいだ。
これからバンドが何にフォーカスすべきかを考えている。
今夜は久々にメンバー全員集まってリハーサルがあるから、
そこでもこのバンドがこれからどうあるべきかを確かめたい。
今はそんな気分。
次のアルバムは、向こう30年間は手が出せないってくらい完璧なモノにしなくちゃいけない。
ss

記録1

2006-03-21 00:24
ごあいさつ


こんにちは、ぼくは高津です。
先週の水曜日みたいに満月で青白く明るい夜に、
背の高い草むらの中を探っていたら見つかるような、青光りした魚。
その尻尾を持って横に振ると、宮崎あおいが出てきます。
そんな希望に満ちた文章を、
これからクイズマスターのみんながこのブログに書き込んでいくと思います。
今までのメンバーごとの日記は無くしてこれにまとめたような感じですね。
きっと中には面白いのも出てくるんだろうね。いいじゃないね。
クイズマスターのホームページを覗いてくれた人たちがこれをちらりと見て、
ふーんあいつら生きてんじゃんか、とか思ってもらえれば幸いです。
それでは、みなさまよろしくおねがいします
(高津)